活動臨界ぎりぎり。

現在研究室。
月曜日のフィールドで寒かったせいか、昨日一昨日と体調不良。今日になって漸く体調が活動臨界に達した。なんかもーいろいろぎりぎり。
 
昨日やってた「その時歴史は動いた」に関して以下適当に。
1941年12月8日、ハワイ、真珠湾。太平洋戦争の始まり。日本とアメリカはどのようにしてこの戦争へと進んでいったのか、そのあたりが「その時」では十分に語られていなかったように感じる。もっとも、テレビ媒体としては今までに無いぐらい語られていたが。
 
いろいろ考えて、太平洋戦争の始まりについて考えるなら、50年前、つまり1891年から1941年に至る50年間の歴史の流れを把握しておかなければ、その姿は見えてこないと思う。日米にどのような交流があり、それがどのような流れを経て対立し、最終的に戦火を交える事態になったのか。
 
つか、所謂「大艦巨砲主義」が日本海軍の悪い点のように揶揄した表現が多かったが、当時世界中の潮流は大艦巨砲主義であり、何も日本が遅れていたわけではない。第一、日本海軍は航空機に早くから目をつけ、優秀な陸上攻撃機や戦闘機、爆撃機などを開発していた。だが、太平洋戦争開始時まで、正確にはマレー沖海戦まで航空機というのは「どこまでつかえるかわからない兵器」だった。そりゃ、実績が無いからね。国家がその命運を賭けて行う戦争で、「どこまでつかえるかわからない兵器」に頼るわけにはいかない。だからこその「大和」なんだし。
 
現実に、日本海軍は太平洋戦争開始時世界最優秀の陸上航空機部隊を保有していたし、複数の空母をまとめて運用する空母機動部隊の発想も持っていた。
 
「時代遅れの装備と作戦構想だったから日本は負けた」
と言い出す人がたまに居るが、果たしてそうなのか?