結局のところ

物事のうわべだけを見て、あるいは一面だけを重視してどうこう言う議論は意味が無いと思っている。時間だけが無為に過ぎ、薄っぺらい、表面だけの、長期的には何のメリットもない結論が導かれるだけだろう。
 
複雑系を考えるときに単純化するのはわかる。そのほうが検証しやすいだろうし、結論も出しやすい。でもその結論をそのまま複雑系に適用していいかどうかはさらなる検証を要するだろう。
 
複雑系での議論は全体を俯瞰し把握することが重要。個々の要素ではなく、全体としてどうなのか。全ての要素を総合的に、かつ多角的に検証しなければならない。
 
人間を形成する要素はそれこそ凄まじいまでの複雑系だ。
 
「あなたはインターネットで爆弾の製造法を知りました。作って授業中の教室に投げ込んでみますか? Y/N」
 
普通の人ならNOだろう。もちろん私もそんなことはしない。
では彼はなぜYesだったのか。それは学校でのイジメが関係しているのかもしれないし、もっと他の要因があったのかもしれない。単に「むしゃくしゃしてやった」という理由だって考えられる。
 
それなのに、「インターネットで得た爆弾の製造法」という一点にのみ注目し、あれこれと規制を画策している。それも確かに要素の1つだが、他の要素はどうでもいいのか? 関係していないのか?
 
こういう「臭いものにはフタをしろ」な対策には到底賛同できない。
 
…考えながら書いてるので結論が収束しきってない気もするが眠いから寝る。