ゲーム脳 〜そんなにゲームが悪いのか?〜

最初ということでまずはコレ。

少年や青年による殺人事件が起こると、決まってワイドショーで「ゲーム脳」という言葉が出てくる。まあ、家宅捜索なんかで出てくるわけだ。格闘ゲームや残虐系(バイオハザードなどの)のゲームが。これらのゲームをすることで若くて善悪の判断さえつかない18歳以下の少年が犯罪に走るようになると。
 
しかし、ゲーム機、例えばプレステ2の出荷台数と格闘ゲームバイオハザードなどの“槍玉にあがっている”ゲームの出荷台数を考えてみれば、子供の周囲には普通にゲーム機があって、普通にあるほどではないけれど希少というほどでも無い頻度で“槍玉にあがっている”ゲームがあるわけだ。
 
少子化でよかった。今の子供はその多くが「ゲーム脳」で殺人などの残虐な犯罪の犯人になる候補者らしい。
 
馬鹿か。
まあ、私は格闘ゲームや残虐系ゲームは大嫌いで、本来であればこれらの擁護をするような発言をしたくないのだが、「ゲーム脳」という一方的なレッテルを貼られ、また多くの大人たちが「ゲーム」の内抱する細かいジャンルを考えずにテレビゲーム全体を批判するようになるのは流石に看過できない。
 
まあ、日本ではテレビゲームの市場が広いにもかかわらず、その社会的地位は低いままなので、何か大きな事件があって、「テレビゲームが関係しているらしい」となれば槍玉にあがるのは当然かもしれない。PTAと違ってテレビゲーム業界はその社会的認知の低さから反論しても社会に広く伝わらないため、一方的に悪し様に言えるわけだ。
 
本来であれば、今のゲーム業界を作り、育ててきたのは当時の子供、つまりは今の大人たちであって、当の大人がゲーム業界に物言いをつけるのは噴飯ものであるな。
 
さて、ゲームは悪いのか?
少しは無しは変わるが、私は小中学校を公立の学校で過ごしてきた。そのなかで週に1時間という時間割こそ確保されていたが、その名前どおりの授業があるのは月に1回ほどで、他の時間はLHRだったり自習だったりした授業がある。
 
「道徳」である。
 
小学校、中学校時代、人間の精神的な発達に於いて最も重要なこの期間に人としての道を説く「道徳」の授業がこの程度。公立でさえこの体たらくなのだから私立や進学率にうるさいところだとそもそも存在さえしていないかもしれない。
 
子供が善悪がわからないのは当然だ。なんと言っても何が善で何が悪かを教えられてきていないのだから。
 
昔は、今の大人が子供だった頃は、道徳の授業がきちんと行われていたかはともかく、「道徳」を教えるシステムがあった。それは親や家族だったり、或いは近所に住む怒りっぽいおじさんだったりした。怒られることで、「悪い事」がわかっていたのである。
 
翻って今はどうか?
親は共働き、一人っ子で兄弟も居ない、核家族化で祖父母も同居していない。まわりの大人たちも「キレると何されるかわからない」と子供を傍観するだけ。親の教育も期待できない、なんと言っても今のゲーム業界を育ててきた当人だしね。それは冗談としても、地域社会が実質消滅してしまっているので親が単独で子育てをしなければならず、その大変さから子供の相手をテレビゲームにまかせてしまう。これなら手がかからないしね。
 
一体、誰が、子供に道徳を教えられるのか。子供はどうやって善悪の判断を身につければいいのか?
 
そう。悪いのはゲームではない。親が、家族が、地域社会が、学校が悪いのだ。善悪の判断さえつけられない子供たちはより大きなスケールで見ると「被害者」なのだ。
 
ではなぜこうなってしまったのか。
それは「政治」や「行政」に行きつくと思う。経済的な発展を優先する政策が、中学校を卒業したばかりの少年を都市に送り、都市で結婚する。もちろん親は故郷に居るので核家族になる。新参の核家族が集まっただけの集合住宅や団地。地域社会など形成するどころではない。最初は主婦だった人も収入を求めて働きに行く。そうすると子育てが大変になるので、2人目以降の子供を作らない。「最も小さな社会」である家庭でさえ何も学べない。兄弟と喧嘩したりして対人関係を学んでいき、相手が喜ぶこと=良いこと、相手が喜ばないこと=良くないことと学ぶのにその機会さえない。学校も成績重視で道徳を切る。道徳を教えられないまま親になれば、子供に道徳を教えられない。
 
いわば戦後60年の積み重ねが今の状況なのだ。言わば経済優先の政策が作った歪みである。ゲームに責任を転嫁してお茶を濁してはダメなのである。